目線の変わりは、社会の変わり目
朴海淑(パク・へスク)
韓国生まれ、韓国育ち、1997年渡日、川崎区在住
現在、川崎生涯学習振興事業団在職
「ひまつぶしの会」名の魅力
忙しいのが美徳で、働いて、働いて経済大国になった日本で、真面目な市民団体の名が、公に「ひまつぶしの会」と言っても良いのかと思われるかもしれません。しかし、なぜか私はこの不真面目そうな名に妙な魅力と快感を覚えました。
今の若者はメールや携帯電話などで、一瞬もじっとするひまがなさそうです。何もしない時間、ひまに耐えられない人が増えているようです。
「ドアの向こうの風景」
私がこの会に参加したのは、発足したばかりの夏頃で、韓国の文化について語る講師として呼ばれました。この会の実態を知りたいと好奇心もあり、また応援もかねて参加することにしました。いろいろな方が集まっていると聞きましたが、さすが、その通りでした。ドアを開けた瞬間、私が準備した原稿どおりには進行がきそうにないことがわかりました。
楽しい韓国文化について語ろうとしても耳の聞こえない方がいました。体を動かしながら軽いゲームをしてみようとしても車椅子の方がいました。輪になってレクレーションゲームをしようとすると、うろちょろする子連れのママがいて仲間に入れない状況でした。一つの枠にまとめ用のない方々と、与えられた時間をどう過ごせば皆様が満足できるかと思い、呆然となりました。
とにかく簡単なレクレーションから、ゲーム、語り合い、最後に朝鮮民謡アリランまで歌い、バーションを細切れに替えながら進めました。自分が楽しめる時は一緒になって楽しみ、自分ができない時は、人の楽しそうな顔を見て楽しむことが出来ました。
地域のひまな人(?)たちが、いっきに和やかになり、嬉しい気持ち、幸な気持になりました。
家にいれば、きっと一人で寂しく食事をしていたかもしれない人や、自由に動けない人や、子供が気になって外出が苦手なママにも、ここでは、リラックスしている風景がありました。
何の仕組みや飾りがなくとも美しく見えて、気を使って恰好つけなくても素敵に見える風景がありました。私の中では、じわりと感動が走っていました。
「目線の変り目は、社会の変わり目」
初めてなのに、何度もこの会に参加したような親しみを感じました。
よく考えてみれば、私自身も外国人として、日本社会では日本語・日本文化が足りない者として世話される者、ボランティアされる対象でした。目線を置き換えることによって、同じものでも見えてくるものが変わります。
外国人は日本を基準にして足りないものでなく、他の言語や文化の所持者として考えることができます。高齢者は、今迄の豊かな経験の持ち主として、社会に還元できることが沢山ある方です。障害者も個々にできる多様な能力の持ち主です。
子育てというのは、我が家だけの子ではなく、社会の一員を育てるという意味があります。
例えば、ここで食べるおにぎりは、決して豪華なものではありませんが、大変美味しく感じます。このように、ごく普通のものが特別な意味として蘇り、幸せな気持ちになることは、目に見えない何かがあるからです。それが「ひまつぶしの会」の原動力だと思います。今後もこの会には大いに期待しています。より多様な基準で、多様な生き様を考える空間として、健全なひまつぶしを楽しむ場として、地域のサポートしてくださる事を願います。また、ひまつぶしにいきたいですね!!
2004年7月